国立大蔵病院は、戦後の混乱がまだおさまらない昭和20年12月1日に発足しました。他の多くの国立病院と同じように、その前身は陸軍病院でしたから、病院としてはその前から存在していたことになります。
初代の院長に就任された河野清吾先生、それを継いで約25年間院長をされた黒川清之先生は、荒廃した病院を建て直すために大変な苦労をされ、現在の緑の多い大蔵病院の敷地も黒川先生が一人一人地主と折衝しつつ整えられたのだと聞いております。その後、小林忠、横田曄、田村宏平、秋山洋、開原 成允先生と院長は引き継がれていきましたが、その中で外来棟、病棟の新築、看護助産学校の設立、南病棟の新築、臨床研究部の設立、研修指定病院の認定と次々に発展を遂げ、今日の姿ができあがりました。
平成7年12月、創立50周年を迎え盛大に記念行事がおこなわれましたが、同年5月には、厚生省の中に設けられた「国立成育医療センター(仮称)整備基本計画検討会」が、国立大蔵病院と国立小児病院を統合して大蔵病院の敷地内に新しい高度専門医療施設(ナショナルセンター)として「国立成育医療センター(仮称)」を創設することを提言しました。その基本計画には、「少子高齢社会を迎えた我が国が世界に問うプロジェクトとして、小児医療、母性・父性医療及び関連・境界領域を包括する医療(成育医療)に関するナショナルセンターを整備し、将来をになう世代をつくるための医療の向上を目指します」と記されています。その完成は2001年度の予定であり、国立大蔵病院は新たな発展と変革の段階を迎えることになります。 現在、国立成育医療センターの巨大な建物への建築が着々と進行しています。
国立大蔵病院は、21世紀へ向かって新たな挑戦を始めます。皆様のご支援を心からお願いしてご挨拶に代えさせていただきます。
経歴
1939年生。1964年東京大学医学部医学科を卒業。東京大学大学院医学系研究科で小児科学を専攻、医学博士の学位授与。1974年自治医科大学小児科助教授、1985年自治医科大学小児科教授、1994年東京大学医学部小児科教授。2000年から国立大蔵病院長。